東京高等裁判所 平成12年(う)373号 判決
被告人 松島浩仁
〔抄 録〕
1 所論は、要するに次のようなものである。すなわち、原判決は、罪となるべき事実として、被告人が、自宅庭先に犬舎を設けて土佐犬を飼育するに当たり、土佐犬は強い体力と攻撃的な性格を備えた闘犬であり、また、被告人が飼育する土佐犬がかねて北側犬舎の金網フェンスの番線を噛んで引き抜き、同フェンスを破損したこともあったのであるから、堅固な犬舎設備を設置して適宜その修理・補強を行うとともに、犬舎から庭先への出入口扉の施錠を確実に行うなどして、その飼育する土佐犬が犬舎から外部に逸走して他の人畜等へ危害を及ぼすことを未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、タツと名付けた雌犬(生後約四年、体長約八〇センチメートル、体高約九五センチメートル、体重約四四キログラム)を飼育していた北側犬舎中央の分室の出入口扉下部の金網フェンスを修理・補強することなく、漫然放置した上、平成九年一二月二三日午後一時五〇分ころ、他の土佐犬を散歩に連れ出した際、被告人方庭先に通じる犬舎の西側出入口扉を施錠しなかった重大な過失により、同日午後二時二〇分ころ、タツをして、その分室通路側出入口扉下部の金網フェンスの番線を噛み引き抜くなどさせて、同フェンスを破損させて、右西側出入口から逸走させ、そのころ、群馬県勢多郡粕川村所在の前原義雄方庭先において、前原由香(当時三歳)の頭部等に噛み付かせ、よって、同女に対し、全治約一か月を要する頭部陥没骨折、顔面・頭皮裂傷等の傷害を負わせたとの事実を認定判示している。しかしながら、本件のようにタツが犬舎から逸走して人身に対する攻撃を行う具体的危険性があるとの前提事実を被告人が認識していたとはいえない。したがって、原判決には、この点に関して判決に影響を及ぼすことが明らかな事実認定の誤りがあり、その認定を前提にして、被告人に重過失傷害罪を適用した点で、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
2 そこで、原審記録を調査して検討すると、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決が罪となるべき事実として認定判示するところは、その認定の理由として「争点に対する判断」の項において認定説示するところとともに、すべて正当として是認することができ、原審で取り調べたその余の証拠及び当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、原判決には所論のような判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認及び法令適用の誤りはない。以下に補足して説明する。
(一) 関係各証拠によれば、原判示の日時場所において、被告人の飼育していた土佐犬のタツが、その収容されていた犬舎の分室中央部の金網フェンスを破損し、さらに、施錠のされていない西側出入口から逸走して、前原方の庭まで赴き、同所にいた前原由香に噛み付いて原判示のとおりの傷害を負わせたことが明らかである。その上で、所論は、被告人が出入口の施錠を怠った点は認めるものの、(1)本件土佐犬のタツが自らに危害を加えようとはしない人間に対して攻撃的性格を有していることを裏付ける証拠はなく、したがって、また被告人が右土佐犬のこのような性格を事前に承知していたとする証拠もないし、(2)過去に被告人の飼っていた土佐犬が北側犬舎のフェンスを破損したという事実はないから、本件のような破損による逸走が起こる具体的危険性を被告人が認識していたとはいえず、被告人に重過失を問うための前提事実が欠けていると主張する。
(二) しかしながら、まず右(1)の点については、本件関係各証拠によれば、闘犬として改良されてきた土佐犬は、雌雄を問わず、人間に対して攻撃を加える一般的危険性を備えていることが優に肯認できる。加えて、原判決指摘のとおり、本件タツについても、平成七年一〇月に被告人が犬舎に入れようとした際に逃げ出し、近所の家の庭に駆け込んで、同家で飼われていた小型犬に噛み付き死亡させたことがあるのであって、この事実は前記の攻撃性を裏付ける事情になると解されるところ、所論は、右事実は人間ではなく犬に対する攻撃がされた事例に過ぎないから、なお土佐犬であるタツの人間に対する攻撃性を認めるに足りる証拠はないことに帰するとするが、独自の証拠評価を加えるものに過ぎず、到底採用できるものではない。そして、被告人の右の自らの体験に、五年近くにわたり土佐犬を飼育し、その間年々飼育頭数を増やしてきた実績等も併せ考慮すれば、被告人が土佐犬のこのような攻撃的性格を認識していたことも優に肯認できる。
(三) 次に、前記(2)の点についてみると、関係各証拠によれば、原判決が認定判示するとおり、平成九年九月ころ、本件北側犬舎の三つの分室のうち、最も東側の分室に入れてあった土佐犬が金網フェンスに噛み付いて針金を引き抜いたことがあり、その後、最も西側の分室の土佐犬も金網フェンスの針金を噛んで外したり、変形させたりしたことがあったとの事実を認めることができる。所論は、右の認定は被告人の捜査官に対する供述調書の記載の中から恣意的にされたものであるとして論難するが、右の認定に関しては、客観的な裏付けが存在している。すなわち、原判決が説示するとおり、本件北側犬舎に当初設置された金網フェンスに関しては、もともと金網の金属製枠への固定方法に問題があり、具体的には、この金網を構成する番線(直径三ミリメートルの通称針金)の先端部を引っ掛けてある直径四ミリメートルの番線と金属製枠との固定が単にフックで押さえるというに過ぎず、右金属製枠に溶接するなどの措置が施されていないこと及び右三ミリメートルと四ミリメートルの番線相互の引っ掛け方もこれまた単に一方を他方に折り曲げたというに過ぎないことなどであり、例えば、三ミリメートルの番線で構成されている金網を強い力で引っ張れば金網の先端が枠から外れるなどの危険性が十分に看取できるというものであった。また、平成一〇年一月二一日付け実況見分調書(原審検察官請求証拠番号甲第九号)添付写真二〇号、二一号等によれば、本件発生当時タツの収容されていた分室の西側に隣接した分室の扉の金網フェンス下部には、西端から中央部にかけて、タツによる本件破損に匹敵する範囲にわたる穴が開いており、その穴の周辺には番線の網目が大きくゆがんでいる箇所があること、被告人が、平成九年一一月ころから鉄製メッシュを右金網フェンスの内側に取り付ける補強作業を開始し、タツの収容されていた本件中央及びその東側の分室扉部分を残して、犬舎全体についての補修が完了していたことも証拠上明らかである。このような事情に加えて、被告人の取調べが在宅で行われ、のみならず、被告人の原審公判供述によっても原審弁護人が主張する取調べ司法警察員に誤導があったとの事実も全く窺われないといった点をも踏まえると、平成九年九月ころに二つの分室で金網フェンスの針金が引き抜かれたり、変形したりしたことを認め、現に補強作業に取り掛かった事実に及ぶ被告人の捜査段階での供述は、具体的かつ合理的な内容であり、信用性が高い。これに対して、捜査段階では右のような破損が生じたとは供述していない、実際は単に菱形がゆがむ程度であったに過ぎないとする被告人の原審公判廷における弁解(当審においても、同趣旨の供述をしている。)は、原判決が指摘するとおり、いずれも内容が不合理、不自然である上に、重要な点について各公判期日によって内容が変遷している点もみられることなどに照らし、信用性が著しく乏しいといわざるを得ない。なお、弁護人は、各供述調書によって破損状況についての説明が異なるものがあると主張するが、その文脈からすれば、いずれも前記のような破損があったことと矛盾するような具体的な説明をしているものとは解されず、所論は採用できない。
(四) 以上によれば、本件においては、土佐犬のタツを自由に放置すれば人間に対して危害を加える危険性があり、また、犬舎分室の金網フェンスの修理・補強を施さず、かつ、庭先への出入口扉の施錠を確実に行わない場合、タツが犬舎の外に逸走することが過去の事例に照らして具体的に予測できたとする原判決の認定に誤りはなく、また、補修を施した上で施錠をすることは被告人にとって容易に実行し得たものである以上、本件被告人には重過失があったとして刑法二一一条後段の適用を認めた原判決の判断に法令適用の誤りもない。論旨は理由がない。
(河辺義正 廣瀬健二 大谷直人)